ゲームクリエイターを目指し、ゼロワングランドスラムや情報オリンピック、AtCoderなど、数々の大会に挑戦を続けている沢津橋 勇汰さん(中1)へインタビューさせて頂きました。
【1】原点と出会い
Q1. コロナ禍で「どうぶつの森」に出会ってゲームクリエイターを目指すようになったとのことですが、その時の気持ちや、どんな瞬間に「これだ!」と思ったかを教えてください。
A1. コロナウイルスが流行したときに突然小学校が休校になって、外出ができなくなり、友達や祖父母に会えなくなり寂しい思いをしました。そんな時に「あつまれどうぶつの森」というゲームを買ってもらって遊んでいると、ゲームの中だったけど住民とコミュニケーションが取れたり島を自由に動き回れるのがすごく嬉しくて、辛い気持ちが和らぎました。島の中ではやることがたくさんあって忙しかったし、次はこうしよう!と楽しい気持ちで過ごせました。心を癒やしてくれるゲームの凄さに感動して、この頃からゲームクリエイターになりたいと思うようになりました。
Q2. はじめて自分でプログラミングして動いた時の作品や気持ちを覚えていますか?
A2. 初めてプログラミングをしたのは、Scratchのチュートリアルの中にある、ボールをバウンドさせるゲームです。簡単なものだったけど、50個くらいのブロックを使ってやっと動かせることができた時は感動してとても達成感がありました。
【2】挑戦と成長
Q3. ゼロワングランドスラムや情報オリンピック、AtCoderなど、数々の大会に挑戦されていますが、一番苦労したことや印象に残っている経験は何ですか?
A3. 一番印象に残っていることはゼロワングランドスラムです。ゼログラでは、初めてロボットのプログラミングに挑戦しました。ロボットは、同じプログラムでも置いた時の角度やぶつかった時の衝撃によって動きが大きく変わってしまうので、うまくいっていたことがうまくいかなくなることがよくあって何度も落ち込みました。失敗ばかりするので心が折れそうになりましたが、先生が、「どうしたのかな?今日はタイヤの動きがスムーズで気持ち良さそうに走るね!」とロボットに笑顔で話しかけているのを見て、もっとプログラミングを楽しまないといけないと思いました。
ゼログラのチームのメンバーは、僕が福岡、陽馬くんは佐賀、光希くんは長崎と離れていたので2回戦後から決勝まで会うことはできなかったけど、ビデオ通話で一緒に作戦を考えたり、実際にゲームを作ったりロボットを動かしたりして反省会をしました。みんなプログラミングが本当に好きなので、話し合う度にどんどん作品が良くなっていくことが嬉しかったし、こんな方法があるんだ、こんなことができるんだ、という学びが多くて楽しかったです。
うまくいかない時は一緒に悩んで励まし合うことができて、陽馬くんと光希くんがいたから最後まで頑張ることができたと思います。初めて2回戦で会った時に3人とも靴が青かったから、これからもこの絆を大切にしたいから「Blue Nexus」と3人で考えたチームの名前もすごく気に入っていて、またこのチームで挑戦できることがあるといいなと思います。


(左から) 泉屋 光希(いずみや みつき)くん、僕、新宅 陽馬(しんたく はるま)くん
Q4. 小学校でScratchが禁止された時、自分でスライドや動画を作って交渉したそうですね。どんな想いで行動を起こしたのですか?
A4. プログラミングが必修化されて学校でも使えるようになったのに、「遊びの道具になる」という理由で授業以外での使用を禁止されてしまった時はとても残念でした。それまで僕は都道府県タイピングなどを作っていて、担任の先生がクラスで広めてくれてみんなが使ってくれたり興味を持ってくれたりしたのがすごく嬉しかったので、学校でScratchができなくなって悔しかったし、せっかく使えるのに使わないのは勿体無いと思いました。
半年間何もできなかったけど、タツナミ先生の講演会に参加して「失敗を恐れずにチャレンジしよう!」と先生が言っているのを聞いて、みんなともう一度プログラミングができるように小学校にプログラミングクラブを作りたいと思いました。プログラミングの良いところはたくさんあるので、ルールを守ってやれば勉強に使えてためになる、ということを伝えたかったです。
【3】つながりと仲間
Q5. 小学校のプログラミングクラブで出会った仲間とは、今もつながっているとのこと。仲間と一緒に活動することで学べたことや、印象に残っているエピソードはありますか?
A5. 教育版マインクラフトを使った事がないメンバーが多かったけど、手作業でブロックを置いていたのがプログラミングであっという間に積み上げられていくのを見て、自分もやりたいと興味を持ってだんだんみんながコマンドを使えるようになっていったのが嬉しかったです。メンバーが考えて作ったコマンドをもっと簡単に使いやすくできないか考えるのも楽しかったし、自分が思いつかないアイデアを聞くとワクワクしました。
僕はプログラミングは好きだけど建築をするのは苦手です。でも、メンバーにはデザインが得意な人や想像力が豊かでより面白くする方法を思いつく人がいて、相談すると必ず誰かが答えてくれることがすごく心強かったです。一人じゃできないこともみんなとだったらできて、それが想像以上のものになるということを体験できました。夏休みはずっとMinecraftカップのことで大変だったけど、みんなの気持ちが詰まった作品を完成させることができて、忘れられない思い出になりました。一緒に挑戦してくれた仲間に感謝しています。

Q6. 日本初のマインクラフターであるタツナミ先生とのパネルディスカッションに参加された時、どんなことを話したり、感じたりしましたか?
A6. パネルディスカッションに参加する一年前に先生の講演会に行きました。その時の先生の言葉がきっかけで今の状況(Scratch禁止)を変えたいと思ったこと、行動したらたくさんの仲間たちに出会えて、その仲間たちと素晴らしい経験ができたことに感謝している気持ちを伝えました。憧れのタツナミ先生が僕の話を聞いてくれて、「かっこいいよ!」と言ってくれて、自分がやってきたことを知ってもらえたことがすごく嬉しかったです。失敗を恐れずに行動して本当に良かったと思ったし、これからも色々なことにチャレンジしていこうと思いました。

(左から) 九州工業大学 柴田 智広教授、タツナミ シュウイチ先生、僕
【4】情熱と未来
Q7. 「AIが発達すると、今学んでいるプログラミングは必要なくなるのでは?」という疑問を持っていると聞きました。このことについて、今どんなふうに考えていますか?
A7. 人間にしかできないことをやる必要があると思いました。父が「0から1を作り出すことは難しい」とよく言っていて、僕もAIにはまだ何をどんな風に作るかは考えられないんじゃないかと思うので、こういうのが作りたい!というアイデアを出せる人にならないといけないと思いました。また、AIを使うと効率は良くなるけど、AIを信用し過ぎずに、その方法や解き方で合っているか、余計なプログラムが入っていないかの判断はできないといけないと思うので、プログラミングの知識はやっぱりあった方が良いと思いました。
Q8. ゲームクリエイターとして、どんなゲームを作りたいですか?「こういう人に届けたい」「こういう体験をしてもらいたい」などがあれば教えてください。
A8. 遊んでもらった時に、「すごい!」「面白い!」と思ってもらえるようにするのはもちろんだけど、辛かったり悲しかったりする時にその気持ちを和らげてくれたり、乗り越える元気をくれるようなゲームを作れるようになりたいです。
Q9. プログラミングやゲームを通して、将来やってみたいことや夢があれば教えてください。
A9. 世界中の人が知っているような有名なゲームを作れるようになりたいです!
【5】後輩へのメッセージ
Q10. 沢津橋さんのように、これからプログラミングを始めたいと思っている小学生や中学生に向けて、「これは大事にしてほしい」と思うことやアドバイスがあればお願いします。
A10. 僕はまだ大会で優勝をした事がないけれど、プログラミングには自信を持っています。それはみんなよりすごいという自信じゃなくて、前の自分よりできることが増えているという自信です。問題で間違えてしまった時は悔しいけど、次は解けるようにしっかり解説を見て学んでいます。
結果が出ない時や周りがすごくて焦ってしまう時もありますが、頑張ってきた自分は絶対昨日よりも成長していると思います。初めてゲームを作れた時に感動した気持ちを思い出して、そのプログラミングを今は簡単なものだと思えているのは努力し続けてきたからだと思うので、頑張っている自分に自信を持ってプログラミングを続けてほしいです。